【訃報】三沢光晴さん


(写真http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/fight/265977/より引用)


プロレスラーの三沢光晴さんが亡くなった。

小学生の頃、弱っちかった私はプロレスが好きになった。
以来、プロレス雑誌やタブロイド紙を買い、テレビを見て興奮し、ときに会場に通い、声を枯らせて声援を送った。

私にとって三沢さんは、「雲の上のスター」ではなく、同時代的な共感と憧れをもった存在だった。三沢さんがデビューした1981年に私は中学校に入学した。私が高校受験に失敗した同じ頃に三沢さんはメキシコ遠征に飛び立った。私が新聞配達をしながら大学受験の浪人をしていた頃、三沢さんは二代目タイガーマスクとして「猛虎7番勝負」のチャレンジをしていた。社会人になって初めての転勤先で未熟な失敗を繰り返していた頃、三沢さんは全日本プロレスのスター選手であった。三沢さんは激しいプロレスを展開し、カウント2.9で何度も何度も立ち上がり、そのたびに私も頑張ろうと思った。やがて私も組織で中心的な位置に立ち、悩みはじめた頃、三沢さんは全日本プロレスを思い切って割って出た。多くのレスラーやスタッフが三沢さんと行動を共にし、堂々と「株式会社プロレスリング・ノア」を立ち上げた。仲間たちから信頼され、その後の組織づくりを堅実に進めてきたと聞く。

しかしプロレスは、ある時期から総合格闘技などに興業人気を相当に奪われた。また組織内部にいた人間による「暴露本」などによって「筋書きがあること」を書きたてられたダメージも生じた。ノアについては、経済不況によって3月でもって長年のテレビ中継が打ち切られ、それにより大幅な減収となったことが報道された。レスラーであり経営者であった三沢さんが心身ともに疲労していたことは想像できる。

プロレスは、人間個人や組織集団の愛憎や喜怒哀楽を大なり小なり物語にして、鍛え抜かれた肉体と磨き抜かれた技とで攻防し表現するスポーツ事業であると考えている。人間と組織がある限り、プロレスというジャンルが死滅することはない。私が取り組んでいる世界とは、全く異なっているが、しばしば類推しては楽しみ、何よりも勇気づけられてきた。見知らぬ者たちに熱を与えてきた稀代の名レスラー三沢光晴さんの訃報に接し、弔う。