【労働】「八百長力士」を解雇してはならない(改)


↑11月に九州場所を友人と観戦したときの写真↑


大相撲が激震に見舞われている。
賭博事件での捜査過程でメールデータが復元され、「八百長」の証拠が明白になったというのだ。ついに春場所中止という事態に至っている。

私はプロレスについての文章を書いたことがあるが、大相撲も子供の頃から大ファンであった。今は亡き祖父に手を引かれ、当時の蔵前国技館に胸を躍らせ行った。毎場所、新聞社から番付表を取り寄せ、テレビに向かって声をはりあげ、翌日の新聞記事を切り抜き、コメントをびっしり書いた。小学校六年の夏休みの自由研究は「大相撲」だった。この間の11月に博多を訪れたときにも、九州場所を友人と観戦し、魁皇に声援を送った。

今回の「八百長力士」は恐らく「解雇」されるのではないかと言われている。メディアでも猛バッシングされ、「ファン」と称する人々が「裏切られた」とコメントしている報道で溢れている。だが、あえて私は「八百長力士」を解雇してはならないと書く。

■法的に「解雇」は濫用してはならない
日本相撲協会は力士を「個人事業主」と位置づけていると聞いたことがある。「個人事業主」となると労働法規での保護が与えられなくなるなどの問題が生じる。これは「労働者性」をめぐる事項であり、現在様々な職種で「偽装請負」などの社会問題が生じている。実際に法律上における「労働者」とは、労働基準法労働組合法で以下のように規定している。

労働基準法第九条】この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業または事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。

労働組合法第三条】この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。

見ればわかる通り、労働組合法の方がより広い概念であるが、いずれにしろ力士は労働者であると言わざるを得ない。では「解雇」である。現在「解雇」は労働契約法に規定がある。

【労働契約法第16条】解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

長年の裁判での判例の積み重ねから、解雇は濫用を厳しく諌められている。これを法に結実したものである。実際に解雇するときには、解雇の種類にもよるのだが、解雇事由が就業規則等に定められていること、解雇事由が実際に存在すること、本人の弁明機会が与えられていること、いきなり解雇ではなく事前に指導するなど手続きを踏むことなどが求められる。とくに懲戒解雇であれば懲罰委員会の設置や譴責からはじまる数段階の懲罰規程が定められ、「何をするとどのような処分を受ける」のか明確にするものである。しかし日本相撲協会には就業規則が存在しないという。類似するものとして「協会規則」というものがあり、わずかに以下の規程があるだけである。

【第九十四条】年寄・力士・行可およびその他協会所属員として、相撲の本質をわきまえず、協会の信用もしくは名誉を毀損するがごとき行動をなしたる者、あるいは品行不良で協会の秩序を乱し、勤務に不誠実のためしぱしば注意するも改めざる者あるときは、役員・評議員横綱大関の現在数の四分の三以上の特別決議によう、これを除名することができる。

【第九十五条】年寄・力士・行司・職員およびその他協会所属員に対する懲罰は、解雇・番附降下・給料手当減額・けん責の四種とし、理事会の議決により行うものとする。

これでは不充分である。

そして非難されている「八百長」が解雇事由として労働契約法で定める「社会通念上相当」であるか、である。

■「八百長」は簡単に断罪できるものではない
日本相撲協会は「無気力相撲」と表現しているが、まず「八百長」は法令に違反する行為ではない。なのになぜ批判されるのか?「八百長」という行為は簡単に断罪できるものではない。
多くの意見があると思うが、報道番組のインタビューを視ていると、「真剣勝負」と信じる人が「裏切られた」、最強を目指し「競技」するものなのに「出来レース」「茶番」であるのでは興醒めであるという意見があった。「純粋な子供」がガッカリするという意見や「真剣勝負」している力士までそういう目で見られて可哀そうだという意見もあった。
しかしリアルタイムで観戦している人にとって、どの相撲が「八百長」であるのかは結局分からないものである。大相撲を熱心に楽しんでいる人ならば、子供でも「あれ、この相撲、変な動きだったな」という場面を知っている。しかしそれが「八百長」であるかどうかは分からない。結局、事前にどちらが勝つのかは分からないのである。また「気力」の観点でいえば、仮に「八百長」の相撲があったとして、その相撲が、常人にない肉体を誇る力士が激しくぶつかり合い、技を駆使し、しのぎを削りあうものであったとき、それは人に驚嘆と感動を与え、「無気力相撲」には見えない。逆に怪我も多く、命を削る力士たちが、やむを得ず体調不良で動きが悪く、ばったりとフガイなく倒れる場面があれば「無気力相撲」と見えることもある。むしろ怪我を避け、力士生命の延命をはかりながら「気力ある相撲」で客を沸かせる「八百長」という側面もあるだろう。熱心なファンならば承知し、さらに出身地・部屋の歴史・他の力士との因縁・次場所以降の流れなどを楽しみ、「千秋楽の7勝7敗」の勝負ですら楽しみにしている。
私には鮮明に記憶に残っている相撲が幾つかある。
ある力士の別部屋に在籍した弟が「かわいがられ」廃業したと言われた件があった。その後、兄の力士は確かに鬼気迫る相撲で「かわいがった」張本人の格上の力士に勝ち続けた。表情には全く見えなかったが、壮絶な相撲から背景にあったかもしれない激情を垣間見せていた。
その後、同じ力士が体調不良のため7勝7敗で千秋楽を迎えたことがあった。既に勝ち越していた相手力士がズルズルと押されて下がっていった。ところが、押していたカド番の力士がスベり、前方に倒れそうになってしまった。すると相手力士が誰の目から見ても下からとっさに支えてしまい、会場が異様などよめきに包まれたことがあった。しかし、翌場所からもその力士は変わらぬ人気で会場を沸かせていた。

並外れた肉体を武器に、厳しい稽古を通して、本場所で勝ち星を争い合うスポーツ興行として、不可解な相撲も混沌としながら、大相撲は愛されてきた。

日本相撲協会公益法人であり、税制上の優遇を受けていることや、「国技」であることを指摘する人もいる。私も日本相撲協会の組織について先述した諸規程をはじめ改善がはかられるべきところが多々あると考える。しかし、日本相撲協会の組織問題や相撲が長年有してきた慣行の問題を軽々に「八百長力士」を解雇する理由に結びつけてはならない。また「国技」については正式に法的根拠を持ったものではない。法人格についても再考すればいいではないか。

■力士たちよ、労働組合に加入・結成しよう
先述したように力士の労働者性の問題は論議があるが、労働組合に加入することが勿論できる。かつて、初代天龍率いる力士らが待遇改善などを求めて事実上のストライキをおこなった「春秋園事件」もあった。一力士に責任を荷重に押し付けてはならない。肉体を酷使して常に怪我と抱き合わせで将来が不安定である力士たちの労働環境改善がはかられることが大事なことである。

大相撲を愛する者として、労働/生存運動の活動家として、力士たちにメッセージを送りたい。